サム・ペキンパーを知りたいなら「情熱と美学」を見よ

サム・ペキンパーはアメリカ合衆国の映画監督で、1961年の映画「荒野のガンマン」や1977年に公開された「戦争のはらわた」など数多くの名作の生みの親です。1984年12月28日、59歳の時に心不全でこの世を旅立っています。

 

そんなサム・ペキンパーの生涯をまとめたドキュメンタリー映画が「情熱と美学」です。この作品は2005年に公開された映画で、映画史家兼映画製作者のマイク・シーゲルが監督を務めた唯一の作品となっています。奇しくも没後30年目にして生誕90周年となる年に日本でも公開された「情熱と美学」は元々、マイク・シーゲルが手掛けた「血まみれのサム」の伝記が原作です。

 

「血まみれのサム」、あるいは「バイオレンスのピカソ」はサム・ペキンパー監督のあだ名として広く知られています。スローモーション撮影とそれまでなかった映画の演出、何よりも容赦のないバイオレンスがあだ名の由来です。批判と称賛、その両方を背負った映画監督の姿をマイク・シーゲルは真摯に描き、なおかつその一生を総合的にまとめています。

 

実際に「情熱と美学」のために私財を捧げたほどです。そこまで魅力があるサム・ペキンパーは1925年2月21日、アメリカ合衆国のカリフォルニア州フレズノで生まれました。法律家の厳格な父の元で暮らしていたものの、詩を愛する繊細な青年へと成長していきます。ところが時代は第二次世界大戦に突入し、ペキンパーは海兵隊として従軍する事になりました。

 

その後舞台演出家を目指すものの、上手くい叶ったそうです。そんなとき、テレビ局の裏方として出入りしていた事がきっかけで1956年の映画「ボディ・スナッチャー」の脚本を手掛けた事を踏み台にして監督になります。そのデビュー作が「荒野のガンマン」です。

 

その後は順調に人気監督家になるものの、1964年にプロデューサーと衝突した事でトラブルメイカーとしてブラックリストに登録されてしまい、一時はその姿を消してしまいます。しかし1969年の「ワイルドパンチ」で復活、その後も1970年委「砂漠の流れ者」や1973年の「ビリー・ザ・キッド」など作品を生み出していきました。

 

晩年もまた周囲に晒した狂態のせいで干されますが、ジョン・ウー監督など様々なクリエイターに影響を与えている偉人です。

 

「情熱と美学」ではサム・ペキンパー監督が答えたインタビュー映像をはじめ、彼にまつわるスキャンダルの検証や一世を風靡した演出及び編集などあらゆる面で1人の男の人生を丁寧に描いています。